こんにちは!kiyokoです。
前回は発症から診断までを長々と書きました。
↓前回の記事はこちら↓
潰瘍性大腸炎を発症!
今回は、私の病歴の中で一番悪化させてしまった、高校2年のころについて振り返りたいと思います。
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高2の春、初めての長期入院
高校1年15歳の4月に発症した私ですが、その後寮を退寮し、姉と学校近くのアパートで二人暮らしを始めました。相変わらず下血は続いていました。
1年近くもその状態が続いていたので、当然貧血の症状がでていましたし、常にだるい感じでした。
口内炎が口に9個!
そんな中、突然口内炎が口に9個もできました。
潰瘍性大腸炎とは直接関係ないかもしれませんが、口も消化器官だし、全く無関係とも思えません。
もういい加減身体を治したい!と思い、春休みを利用して入院することに決めました。
親と話し合い、ステロイドを使わない治療を行っている病院にお世話になることにしました。
病院にとっておいしい患者?
入院し、完全絶食の点滴生活が始まりました。腕からの点滴だったので漏れて痛いし、毎日苦痛でした。
入院前は口からご飯を食べていたし、遠くのトイレまで行けていたのに、段々個室内のトイレまでしか間に合わなくなってきました。
春休みも終わるし、治療といっても絶食して点滴しているだけだし、もう退院したい!退院したい!と毎日思っていると、ますます悪化していきました。
有料の個室利用&若い&文句言わない&お世話がいらない患者は、病院にとってはおいしい患者だったかな?と思います。
退院できずに、ますます悪化するばかりだったので、半ば無理やり「転院」という形で退院しました。
春休みはとっくに終わってゴールデンウィークに差し掛かっていました。
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ひとときの高校生活と白血球除去療法
授業中もトイレの往復で忙しい。
常にお腹が痛くて微熱があるような状態でしたが、入院したら悪化した!と感じていた私は、「学校に行っていないとますます悪くなる!」と思い無理やり学校に通いました。
姉と2人暮らししてたアパートに母に来てもらい、徒歩5分の道のりを車で送り迎えしてもらって、保健室登校したり、授業に参加したりしました。
教室のドアに一番近い席を私の指定席にしてもらい、授業中でも気にせずトイレに走っていました。
腹痛で机に突っ伏してる状態とトイレの往復だけで一日が終わっていましたが、「学校に通えてるから大丈夫!」「絶対に学校に行く!」となぜか強く思っていました。
白血球除去療法が効かない2割
相変わらずステロイドを使わない治療を目指していた私は、当時最先端だった白血球除去療法に挑戦しました。
白血球除去療法は、「8割の人が効果がでる!」と当時言われていたように思います。
2週間に一回、学校を休んで治療を行いました。針は太くて嫌だし、腕の血管は細くてすぐ破けて痛くて嫌だし、太ももの血管は恥ずかしいし痛いし嫌だし、苦痛でした。
しかも私には全く効かなかった。
白血球除去療法と同時に、別の病院で今思うとなぞの治療もやっていました。
ざっくり言うと「爪もみ」の進化系です。爪の根元を両側から指で挟んでぎゅーっともむと副交感神経が高まるらしいんですが、それを指じゃなくて針でやるというもの。
両手両足と頭を針(針といっても注射針(笑))でプスプスやる。
これも当然痛かった。あまりにも痛かったので一回しかやりませんでした。
再入院とカテーテル
高校生活を謳歌(!?)中、熱で親呼び出しになりました。「今病院に連れて行かれたらまた入院になってしまう。」と感じた私は抵抗しましたが、即病院へ強制連行。
そしてやはり入院することになりました。
カテーテルを入れての完全絶食
いまだにステロイドを使わない治療を目指していた私は、白血球除去療法を行いつつ、絶食で様子を見ることになりました。
初めてカテーテルを入れました。2日間は入れたところがとっても痛くて眠れなかったのですが、そのあとは全く痛くなく、腕に入れる点滴より断然良いと思いました。
白血球除去療法を受けても絶食しても、悪化。
絶食して、白血球除去療法を続けていましたが、症状は悪化する一方でした。私には効いていないんだから当然です。
トイレは1日20回以上。テレビのリモコンを押す力もなくなり、背中には床ずれができました。
身長162センチ、体重35キロ、BMI13の体脂肪率10パーセントという見るからに良くない状態になりました。
カテーテルを入れた箇所から感染症を起こしたり、何度か謎の高熱にも合いました。
もう無理だ。もう辞めにしたい。
もう無理だ。もう辞めにしたい。と思った私は、もう屋上から飛んでしまおう!と思い立ちました。
力を振り絞って、点滴棒を支えにしながら廊下に出ました。
始めはエレベーターで行こうと思っていましたが、エレベーターは屋上には行かないようで、階段で行くしかありませんでした。
階段まで移動し、さぁ登ろうとしたのですが、カラカラと連れてきた点滴棒が、筋力がなくなっていた私には持ち上げられず、一段も登ることができなかったのです。
「あー登れないや。辞められない。こんな状態だと病気から逃げることも出来ないんだなぁ。」
今思うと笑えるんですが当時は大真面目でした。引き抜けばいいものをわざわざ連れてきた点滴棒が、ちょっと重くて登れなかっただけで、辞めるのを諦めました。
このコントのようなものの30分程度の一連の出来事は、今後の私の思考を変える大きなきっかけになりました。
自分の身体、自分の人生ではあるけど、病気も自分の中で大きく育ってる。病気と闘うのも辛く、病気から逃げることもできないなら、病気と共生しよう!今は病気に主導権を握られているけど、この身体も人生も、もともとのオーナーは私なんだから、主導権を取り返そう!という強い気持ちが生まれました。
プレドニン60ミリからスタート
今のままの治療を続けていては悪化するだけ!副作用はあってもステロイドを試してみたい!と医師と親と相談し、プレドニン60ミリからスタートすることになりました。
ここからはもう早いです。
あっという間です。
2週間ほどで、談話室に行っておしゃべりができるくらい元気になり、1ヶ月ほどで退院にまで至りました。
高校2年の秋になっていました。
まとめ
今になって思うことは、発症したときでも、高校2年の春でも、怖がらずににステロイドを使っていたらここまでひどくはならなかったかなと思います。
ステロイドは副作用も軽いのから重いのまでたくさんあるし、依存性もあります。実際このあと私はムーンフェイス、不眠、躁うつ、になり、それなりにどれも辛かったですし、使い方がダメで、プレドニン依存にもなりました。
だけどそれでも、使わなかったときよりマシでした。ステロイドに関しては、ほんとに様々いろんな意見がありますが、私は、今後も必要になれば使うと思います。
悪化編は長かったですね。
ここまで読んでくださった方、お疲れ様でした!
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この記事の続きです。
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